のいえの双極暮らし

のいえひだかの雑記ブログです。双極性障害 / 適応が上手くいかない / 趣味は旅や資格取得など / ラミクタールとエビリファイとか

メンタルの病気と教育機関

こんにちは。のいえひだかです。
今日は心の病気を抱えながら学校や大学で学んできた、私の経験を語っていきたいと思います。
幸運にも、私は親の支えもあり様々な教育機関で学ぶことができたので、その記憶を振り返りながらこの記事を作成していきます。

私が学生時代に在籍した教育機関は以下のとおりです。

  • 小学校(公立)
  • 中高一貫校(私立) 中1~高1の途中まで在籍、ただし中2からは不登校(一部保健室登校)
  • 通信制高校(私立) 高1の途中~高校卒業まで
  • 大学(私立・理系寄りの文系) 3年間在籍したが中途退学、途中で休学も経験
  • 専門学校(2年制・IT系)

また、学習塾もいくつか通っていました。

  • 小学受験の塾(地元特化型):保育園の年中~小1くらいまで
  • 公文式教室(英語のみ利用):小3~小5まで
  • 中学受験の集団学習塾(全国で有名):小3~小6まで
  • 中学受験~大学受験の個別指導塾:小6・大1(高校数学の復習で浪人生扱いとして利用)

小学生時代

小学生時代は、学校を欠席することはわずかでした。しかし中学受験に向かう中で、体調を崩してしまい小5の後半からたびたび集団学習塾の授業を欠席するようになりました。今思えば、このときからメンタルのバランスを崩していたのかもしれません。
症状としては、塾のことを考えると気分が悪くなる、行きたくなくて泣いてしまう、といった行動がありました。
また、反抗期も重なり親とは衝突ばかりしていました。

配慮:集団学習塾については特になし。苦手な先生やクラスメイトを避けたいという理由ではクラスを入れ替えてもらうことも不可能だった。

中学生(中高一貫校)時代

中高一貫校では、中1の際に軽いいじめの被害(暴言、パシりなど)を受けたこともあり、中2以降はかなりの割合の時間を教室以外の場所で過ごしていました。
保健室登校をしていた時期は登下校するので精一杯だったため、保健室の隅っこで机に伏せって眠ってしまうなどの行動をしていました。そのため授業には出席できなかったものの、放課後の部活動には参加することを許可してもらい、それを生きがいにして過ごしていました。
また、期末試験は別室で受ける機会を設けてもらいました。しかし一日遅れで受けることを強いられ、成績には組み入れられないという条件のもとでの受験でした。
配慮の中で一番ありがたいものだったのが、スクールカウンセラーとのカウンセリングです。色々相談することによって、抱え込んでいた負の感情を整理することができました。

今思えば、クラスの授業に参加せず部活動にのみ熱中する、といういびつな学生生活が症状の悪化を招いた気もしますが、当時はまだ病識も浅く、ただ生きるために精一杯日々を送っていました。

配慮スクールカウンセラーとのカウンセリング、保健室登校、試験の別室受験(なお成績には組み入れられなかった)

高校生(通信制高校)時代

通信制高校では、キャンパス(サポート校のようなもの)に通学するコースだったこともあり、数は少ないながらも同級生など学生同士で話したりする機会がありました。
また、自習室で大学受験の自習をさせてもらったり、先生に世界史や英語の講義をしてもらう機会もありました。躁状態で受験勉強を全力疾走した結果、ある大学に現役合格することができました。

配慮:気分が悪くなった際に別の教室で休ませてもらう、定期的な先生との面談でメンタルのことについて情報共有

大学生時代

そして再び大学という表の社会(当時の感覚です)に返り咲いた私は、大学という大きな社会、騒がしい環境、自分のキャパシティを超えた量の必修科目によって、再び重いうつ状態を発症してしまいます。1ヶ月以上自宅で1日中寝てばかりという過ごし方をした結果、講義の出席や課題の提出ができず、単位を取得することができませんでした。
学内のカウンセリング、学部の事務や教授との面談といった対応はして頂いたのですが、その後も体調の回復が叶わず、最終的には中途退学することになりました。

配慮:学生相談室でのカウンセリング、事務担当や教授との面談、(一部の科目で)出席基準の緩和、休学制度の利用

専門学生時代

大学を中退した後、希望する業界に就職するために専門学校に入学しました。
通い続ける対策として、自宅から歩いていける専門学校を選んだので、特に問題もなく卒業することができました。

配慮:気分が悪くなった際に静かな場所で休ませてもらう

私からのメッセージ

中学まではフリースクール、高校では通信制高校高卒認定といった、ある程度メンタルの病気に理解があって配慮をしてもらえる場所や制度があることは、学習機会を確保する上でもいいことだと思います。
5教科、その中でも特に国語・数学・英語は生きていく上で大切で将来に役立つものばかりであり、メンタルの病気を要因に学習機会を奪うことはいけないことだと思います。

しかし、最終的な目標を私のように「社会人として経済的・精神的に自立すること」とするのであれば、根本的な問題であるメンタル疾患の症状に対して、自己理解し社会に適応するための手段を見つけて、極力配慮を受けず過ごせるようになることが重要だと思っています。

私の場合コミュニケーションや人間関係、周囲の環境でのストレスを抱えやすく、それによって自分自身の病気(双極)のうつ症状が出てしまう人間でした。
その問題を解決せず社会人となってしまったため、同じ症状を繰り返しつまづいた結果、新卒入社した会社を退職することになってしまいました。

10代、20代で病気について自己理解する必要がある、というのはハードルが高いことだと思いますが、病院の受診時に主治医に相談したり、書籍や動画といった手段で専門家の知識を学ぶのもいいかもしれません。
また、上手に病気と付き合っていて自分自身に合う考え方をしている当事者の意見を参考にしてもいいと思います。

今はまだ10代、20代といった若年層で双極などメンタルの病について意見を発信している人は少ないように感じているので、これから私たち若年層がメンタルの知識に触れる機会が増えていくことを願っています。

これでもサピックス千葉校のα1クラスにいたこともあるし、中学受験では市川と東邦大東邦に合格したし、通信制高校から(ほぼ)独学で東京理科大経営学部に現役合格した実績があります(卒業してないので役には立ちませんが)。だからもしメンタルを病んでいなかったらエリートな人生を送っていたかもしれません(別に今は求めていないです。)